2009-01-08
日本周遊紀行(120)諫早 「干拓事業」

写真:諫早干拓の潮受堤防と水門
諫早干拓の堤防はやはり巨大だった。しかし、・・、
眼鏡橋から一旦出島まで戻って、付近の市立病院横に入口がある「出島長崎道」で一路諫早に向かう。
諫早は県の中央部というか・・?、市域は逆T形の中心に位置し、西側に長崎半島、南側は島原半島それに北側は大村半島・・?のそれぞれ三半島の付け根にあたる。又、西側に大村湾、東側に有明海(諫早湾)そして南側には橘湾の・・、何と海域も三つの海に囲まれている。これはもう、地形的には相当珍しい部類に入るだろう。
そして諫早と言ったら、やはり有明・諫早湾の干拓で、この事業で物議を提供している所でもある。
「あの水門が、ギロチンの様に端から閉じられる映像は衝撃的だった・・!」
諫早湾の状態やギロチン水門を見ようと思い、地図を見ながら行ったがなかなか海岸線にはたどり着けない。国道から海岸線までは遠く、勿論、過去に干拓された広大な農地が広がっているためで、それに海岸・・?へ行くための道は余り整備されていないようだ、場所が違ったかな・・?。 近所の人に伺うと「この先、車じゃ行けないし、行っても、それからかなりあり堤防は見えないよ・・、堤防見るにゃ湾の向こう側、国道251を行くだよ・・」と言う。
言われるままその国道を行く。半島先端の島原へ通じている島原鉄道が並行して走っている。吾妻町の平江地区まで来て、コンビニで堰堤の様子を聞くと・・、
「踏み切り渡って、真直ぐ行くと直ぐだよ」
「車で行けますか・・?」
「車でって、堰堤には立派な道路が付いていて、向こう岸の高来町まで行けるようになりますよ」
言われた踏み切りを渡ると真ッ直線に延びた堤防があった。上部には立派な道路も取り付けられている。入口部には工事用のバリケードが置いてあったが、何とか通れそうなので進めてみた、途中水門近くに大きな駐車場があり、ここまでは進入できたが、水門から先は未だ工事中なのか、完全に通行止めであった。(2007年12月に全面開通)
この堰堤道路は全長7km、この道路は農産物輸送の合理化、新たな観光ルートの開発、地域間交流の促進を目的に潮受堤防を一般交通として利用するもので、島原半島一帯と多良岳山麓一帯を連絡するものであるという。
しかし、ここでは道路の話ではなく、堤防と干拓のことである・・、
両海面を見ると明らかにその差異が判る、外洋は普通の青く澄んだ海であるが、閉ざされた内海は灰色に澱んでいた。これらの海水はやがて干拓され広大な新規の土地が出現するのだろう・・?。
堰堤工事は1989年より「国営諫早湾干拓事業」として行われ、1997年に潮受け堤防が完全に閉じられた、例のギロチン閉門である。 干拓計画では、農用地面積は約816ha(東京ドーム200個分)、作農種は露地野菜、施設野菜、花木、酪農、肉用牛など(やはり米は含まれないようだ)、他に調整池が約2,600ha で事業費は凡そ2,500億円といわれる。
水門が閉鎖されたその後、かつては「宝の海」と言われた有明海は海底への泥の沈殿、水質汚染が生じて有明海全体が死の海と化し、二枚貝タイラギが死滅、奇形魚の増加、海苔の色落ちなど重大な漁業被害が発生したとして、自然保護団体のみならず沿岸の各漁協の猛反対にあっている。しかし魚類の漁獲減少や水質汚濁には、海苔養殖業者が消毒目的に散布した酸や化学肥料による影響との主張もあり、海苔養殖業者と他の漁業者との紛争も発生しているという。
克っての海だったところで干上がった地面には、海の生物の腐った匂い、白いフジツボの死骸、放置されて漁船、養殖用の朽ちた立杭、地面は干からびて、ひびが走っていた。
有明湾干拓について・・、
干拓の目的は防災と優良農地の造成なのだそうだが、防災は高潮などに伴う低地の浸水を防ぐこと、農地については長崎県は三方を海に囲まれ、まとまった平野がないため水田・畑作のための農地不足の解消が長年の課題であった。
諫早の干拓事業の歴史古く、江戸時代や明治〜昭和期には既に行われていて今は農業用地、住宅等に既に利用されている。 最も古い干拓は、推古天皇の頃(593〜629年)に開かれたともいわれている。
平成の干拓は国の公共事業の一つで非常に大規模なものであり、「潮受け堤防」は全長が約7キロもあるという。 同湾の堤防が閉め切られてから9年(1997年)となるが、閉め切り当初は沿岸から堤防までの海域は6 ,7kmあったが、現時点では1km前後と干潟が発達してきているという。
有明海・諫早湾の潮の干満変動差は日本でも有数で、最大約6m(我が国最大といわれる)もあるという。因みに、東京湾では2m程度しかない。 このため、諫早湾は日本においても独特な海域であり美しい自然と海の幸を提供してきた反面、この干満の大きさと遠浅な地形のために湾奥部では有明海から運ばれる土・粒子が堆積しやすく、干潟が発達しやすい。 干潮時には海岸線から5〜7kmの沖合にまで干潟となって露出し、干潟は多いところでは年に約5cm、平均でも数cm成長するという。
因みに、「干拓」と「埋め立て」の違いは新たに土を持ってくるか、来ないかにあるとされる。干拓は字の如く新たな土壌を持ってくるのではなく、海底土を乾かして耕土にする、そのため海水の塩分を多く含んでおり除塩の為の土壌改良が必要になる。 一時騒がれた海苔の不作、有明海の環境変化など、この干拓事業との因果関係については様々な説が飛び交い、一時期、工事停止の司法判断でも「関係がないとは言い切れない」ということで、誰も、はっきりとした事は判らないといわれる。
平成の諫早干拓は、まだまだ物議が出そうである・・!。
諫早干拓の地、堤防を後にして国道57号(国道251と一部併用)まで戻り、今夜の泊まり小浜温泉へ向かう。国道57号は、長崎市から大分県大分市へ至る一般国道で、島原半島の雲仙山域から島原市へ到り、熊本県宇城市三角町までは有明・島原湾の海上ルートを通っている。 小生が辿る予定の小浜から、明日の熊本方面への予定のコースでもある。
愛野町の橘湾の海岸近くから251号線がY字路になって合流し、このまま小浜方面へ向かう。気が付くとこの辺りは霧島半島(島原半島)の付け根にあたり、この国道(R251・島原街道)は半島をグルッと一周りして、又この地へ戻っているのである、久しぶりに、奇麗な砂浜の千々石海岸を見た。今朝から、激しい入り江や出島の入り組んだ海辺や高低差のある断崖の所謂、リアス形の海岸を見慣れてきただけに、小波が寄せる、輝く白砂の海岸は気持ちが広やかになる。
千々石と書いて「チチイシ」と読むと思ったが実は「チジワ」と読むらしい、難解である。 海岸から一時、内陸、山間へ向かうようである。ここから望む霧島山系の高峰が美しい。 気がつくと霧島の火山岩であろうか石を積み上げ、垣を造り上げ、きれいに整備された棚田群である。 田圃の畦や段差は今ではすぐにコンクリートで固めてしまうのが普通であろうが、こちらではほぼ同じ大きさの石を積み上げることで土地を上手に使っているのが分かる。 一望すると民家の周りはほとんど棚田の田圃で、かなり高方まで山の端をかけあがているのが判る。 棚田の田圃は緑の稲波が風にそよいでいる、一部畑もあるようだが。
清流にも恵まれた「棚田」では、山あいの昼夜の気温差が大きく、美味な米が収穫されるという、特に千々石町の「棚田米」は県内でも高い評価を得ているという。 また、「じゃが芋」は北海道に次いで全国第2位の生産量を誇る。長崎県では「ばれいしょ」と称しているらしいが、ここ千々石町においても春と秋の二期作を基本として育成に取り組み、ほぼ一年中おいしい「ばれいしょ」を提供できるという。
千々石の棚田は水田枚数約6500枚、傾斜度は20度から40度、大体180年の歴史が有るという。「日本の棚田百選」に認定され、岳地区の棚田、清水の棚田とある。
棚田は食料を生産する場としてだけではなく、山から流れ込む水を蓄え、ダムの代わりをなし土砂崩壊防止も果たしている。 同時に山の斜面や丘陵地に段々と折り重なり、側溝からは、せせらぎを見聞きすること出来、四季折々の風物を見せてくれる。 棚田の美しさは、心にやすらぎを与えてくれる日本人の原風景でもあろう。
次回は、「小浜温泉」
theme : 国内、史跡・名勝巡り
genre : 旅行
【小生の旅のリンク集】
【小生の主な旅のリンク集】・・・
《日本周遊紀行・投稿ブログ》
FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ
《旅の紀行・記録集》・・・
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)・・・
【日本の世界遺産紀行】・・
北海道・知床・・ 白神山地 ・・ 紀伊山地の霊場と参詣道・・ 安芸の宮島・厳島神社・・ 石見銀山遺跡とその文化的景観・・
ハワイ旅行2007・・沖縄旅行2008・・北海道道北旅行・・北海道旅行2005・・南紀旅行2002・・
【山行記】・・・
《山の紀行・記録集》・・・
「山行履歴」・・
白馬連峰登頂記(2004・8月)・・八ヶ岳(1966年)・・南ア・北岳(1969年)・・北ア・槍−穂高(1968年)・・谷川岳(1967年)・・丹沢山(1969年)・・西丹沢・大室山(1969年)・・八ヶ岳越年登山(1969年)・・西丹沢・檜洞丸(1970年)・・丹沢、山迷記(1970年)・・上高地・明神(2008年)・・
《山のエッセイ》・・・
「上高地雑感」・・「上越国境・谷川岳」・・「丹沢山塊」・・「大菩薩峠」・・
《スキー履歴》・・・
「スキー履歴」・・
【閑話休題】
「旅館、公共の宿・J-Yado」
小生などとっくに過ぎてしまったが・・、今、団塊の時代と言われて久しい。
60歳の定年期を迎えて第2の人生を歩もうとする時、これほど最大のキッカケはないのである。 例えば旅のことである。
「旅はカンフル剤」」といったのは著名な作家・五木寛之であるが、旅というのは日常空間から、日常住み慣れた地域から先ず飛び出す事から始まる。或いはヒョットすると、旅の中で第二の人生を発見出来るかもしれないのである。
「たび(旅)」の語源は不定であるが、その意味上の共通性やアクセントの面から、「とぶ(飛)」との関係や、度数を表わす「たび(度)」が「たび(旅)」が転じたものともいう。 英語でいう「トラベル」とは旅行のことで、普通にはツアー会社の旅行を想像するが、トラベルという英語の語源は「トラベイユ」(労苦、苦労の意味)、フランス語の語源「トラベラー」(拷問の意味)に近い状態であるという。 ラテン語の語源では、なんと「拷問、拷問のための責め具、拷問台」という意味もあるという。 それを受けて「つらいこと」や「苦しみ」という意に派生し、現在では「旅」という意味を持つに至っているという。 尤もで、一昔は「旅」というのは自分の脚で歩いて移動したものであって、そこには多大な苦労や苦痛があった筈である。然るに、語源の「トラベイユ」というのは納得なのである。
又、「可愛い子には旅をさせよ」という諺を例にとってみても、旅というものに対する前途多難さや、若者もしくは学を志す者たちのとって「旅」とは何らかの苦行から切り離せない意味合いが含まれているということも感じ取れる。 旅が、我々に楽しみや喜びだけを付与する存在であるとは言い切ることはできないのである。
さて、元々、若い頃より旅が好きで、今まで日本中をランダムに駆けずり回っていたが、熟年になった今日、念願かなって2006年に「日本一周の旅」を終え、現在、盛んに「日本周遊紀行」と題して回想しながらの執筆し、そしてブログに投稿中であります。
ところで、小生であるorimasa2005は、自称・旅行者と称してますが、あくまでも趣味の範囲ですが・・!。
過去に、北海道ツアーや九州へ伺った時、札幌・ススキノや熊本城下のドーミーインの癒しの湯宿・ホテル に厄介になったけど、ナカナカ良かったですよ・・!。ここのホテルの特徴は、ビジネスホテルでありながら観光ホテル並みに、大浴場や天然温泉が在ることですね。 特に、地方から東京へ出られる人は、ど真中の 「ドーミーイン東京八丁堀」 はお勧めですね、天然温泉の亀島川温泉というのが付いているよ・・!!
それでも年に数回は、高級旅館でユッタリ、ノンビリの和風の宿も いいですよね、夫婦で憧れの旅館で 何てね・・。 それでも、毎度まいど各地を訪ねる時は、やはり庶民感覚の大衆旅館や公共の宿 が普通でしょう。 それにしても今、「かんぽの宿」の売却で問題になってますね・・、合理化云々で公共の宿がどんどん減らされてゆく現状・・!、我々にとっては残念でなりませんよね・・!!。
それでも、普通の好みの旅行に出かけるには格安のツアー旅行 が一般的で多いですかね、こんな時は便利に利用しているのが近畿日本ツーリスト ですね・・、小生は、北海道、沖縄そしてスキーツアーや目的別のツアー等に多く利用してますよ・・!。 勿論、海外へチョット遠くへ出かけるには飛行機で一っ飛びは常道で、早目に予約すると相当割引になるのが嬉しいね、格安航空券のイーツアー は、つい最近ハワイへ行くのに利用しましたよ、勿論、通常のパックツアーやホテル込みの海外ツアーには時折利用してますkwどね・・。
それでも年がら年中、旅ってばかりではなく、家にいる時はノンビリ昔懐かしのTVで、フランスのワインボルドーなどを傾けながら、大迫力の広い画面で・・!ひかりTVでNHK番組 や NHKオンデマンド 、で楽しんでます。 特に、世界遺産や旅、温泉番組はいいよね・・!。
尤も、旅行以外は出不精の小生、若い頃より読書は趣味の一つで、特に好きなものは時代小説はいいですね・・!、今も、パソコンの合間に読んでます。ただ、付近に本屋が無いので、たまにはこちらビーケーワン に注文してます。 そして、昼時など、時には宅配の「吉野家の味」 を家で味わってますよ、拙宅のお年寄りも「美味いもんだね」と喜こんでいます。
それでは引続き、「日本周遊紀行」お楽しみに・・。
尚、この度、【日本周遊紀行「東日本編」】と題して、「自主本」を出版の運びと成りました。
更に、日本周遊紀行「特別編」(世界遺産関係)を近々出版する予定です。 詳細は後ほど・・・。
Powered by FC2 Blog
Copyright © 日本周遊紀行 All Rights Reserved.