2009-01-07
紀行(119)長崎 「眼鏡橋」


写真:長崎名所「眼鏡橋」(下部「袋橋」から望む)と磁器版の案内図
眼鏡橋をはじめ各石橋は、寺町の各寺院に直結していた・・、
先ず、長崎中華街へ・・、
出島の直ぐ隣に新地・長崎中華街がある。横浜中華街、神戸南京町とともに日本三大中華街と称される。 江戸時代の鎖国下でも長崎はオランダの他、対中貿易港としても認められていて、最盛時には約1万人の福建省出身者を中心とした中国人が長崎市中に住居していた。当時の長崎の人口は7万人であったから、いかに華僑(かきょう・外地に住みながら、中国の国籍を持つ漢民族)が多かったかが判る。中国人の住居は丘陵地の唐人屋敷に限定されたが、1698年の大火のため焼失、唐人屋敷前面の海を埋め立てて倉庫区域を造成した。そして在住中国人は海岸に近い新地に移り住むようになった、これが長崎新地中華街の起源という。
近代になって福建省福州市の協力によって石畳が敷かれ、中華料理店や中国雑貨店など約40軒が軒を連ねる中華街となり、四方には中華門も立てられた。長崎は中国色が濃いのは中華街だけに限らず、長崎の町には長崎くんち、精霊流し、ペーロンなど中国色の強い祭りが行われ、孔子廟や崇福寺(寺町にある長崎唐風三福寺の一つ)のような唐寺も多いのである。
出島が面する「中島川」の、その上流に長崎名物「眼鏡橋」が在る。出島から、長崎軌道(市電)に沿って中島川を上流方向へ、「賑橋」まで車を進めてみた。
その前に・・、
中島川の東側の風頭山山麓に寺町通りと称して、十幾つの立派な寺院がほぼ横一列に並んで建っている。中でも中国唐風の黄檗宗(臨済宗、曹洞宗に次ぐ禅宗の一つで明朝風様式を伝えている。大本山は、京都府宇治市の黄檗山・萬福寺)の寺院で興福寺、崇福寺、福済寺という異色あふれる壮大な寺院は「長崎三福寺」ともいわている。 寺院建設には訳が有って、幕府によるキリシタン弾圧のための策略があったといわれる。鎖国令が発布される少し前、キリスト教禁止令を出した幕府は、それまであった11のキリスト教の教会・寺院をことごとく取り壊し、変わりに仏教寺院を建てまくったといわれる。
(明治期における廃仏毀釈に類似する・・?)長崎の仏教は、幕府から手厚い保護を受けてきたようで日蓮宗をはじめ浄土宗の寺など、それぞれに堂々とした門構えで建っている。
序ながら、この寺院群の奥まったところ、深崇寺という寺の横の斜面(「竜馬通り」の名が付く)に沿った場所に、坂本龍馬の「亀山社中」の跡にたどり着く。慶応元年、龍馬は浪士たちを集めて船舶貿易の社中(結社、会社)を結成する。これは日本最初の商社、兼、私設海軍で、後の海援隊である。亀山というのは、その山の一角の名前なのだろう・・。(竜馬については、土佐の高知に詳細あり・・、)
又、長崎の寺町通りの入り口辺りが歌でも有名になった「思案橋」があり、路面電車に思案橋という駅もある。 江戸の吉原、京の島原とともに、日本三大遊郭(三場所)の一つとして知られている長崎の「丸山」はこの辺りである。 丸山には主に長崎の町民や上方の商人が多く出入りしていたらしいが、特に丸山の遊女は唐人屋敷やオランダ出島への出入りが許され、異国人との交流があったともいう。 「思案橋」の名は、“行こうか戻ろか”と思案しながら思案橋を渡り、男達は遊郭の入口「二重門」が見える場所にあった「思切橋」で立ち止まり、この橋の欄干に刻まれてある“思切”の文字で迷いを打ち消し、決意を固めこの橋を渡り二重門を潜ったという。 思案橋と思切橋がバランスをとって架かっているのがまた洒落ていて、酔い・・?。
さて、長崎の主な町人の街は今の賑町、栄町、魚町、桜町といった辺りであろうが、寺町の各寺院へ参詣に行くには真ん中に中島川が流れ、通行を遮断していたのである。 その為、江戸初期には克って架かっていた木橋、木廊橋(屋根付きの橋)が次々と石橋に架け替えられたという。この長崎の石橋は中国人が多く関わっているといわれる。先ず「高一覧」(日本・中国語の通詞、通訳)が独力で1650年に大手橋を架けて以来、中国人同士の競争意識が働き石橋群が生まれたという。これらの唐風石橋群は長崎町人たちの生活の道であり、寺町の仏寺院に参詣に行く参道としての重要な役割を果たしてきた。
中島川の上流から下流まで石橋群は18橋ほどあるが5キロほどの短い川に架けられた数としては他に例を見ないという。 過剰気味のこれらの橋は僧侶、通詞(外交官、通訳)、商人などの個人の財力で造られたといい、長崎が鎖国時代唯一の外国貿易港であり、天領であった豊さを物語っているともいえる。
その眼鏡橋であるが・・、
長崎市電(長崎電軌線)の賑橋駅(にぎわいはし)から直に、その「眼鏡橋」が架かっている。中島川に架かる第10橋で、眼鏡橋の名称は川面に映った影が双円を描き、眼鏡のように見えることから、その名の由来といわれている。 昔より「錦帯橋(山口県岩国)」、「日本橋(東京)」とともに日本三名橋の一つとして名高い。
眼鏡橋は1634年(寛永11)、興福寺二代住持、唐僧の黙子如定(もくす にょじょう:江西省出身)の技術指導で架設されたともいわれ、日本最初のアーチ式石橋でその石橋建造技術は全国の規範となったといわれる。昭和35年に眼鏡橋は国指定重要文化財となっている。 その他の石橋も昭和46年には阿弥陀橋、高麗橋、桃渓橋など、10の橋が市指定文化財に指定されている。 だが元々、橋銘は今のような名前はなく、阿弥陀橋を「第一橋」として上流から順に「第二橋」、「第三橋」と番号で呼んでいたらしい。現在の橋銘は明治15年頃に長崎の儒学者(漢学)の西道仙(にし どうせん:明治時代のジャーナリスト・政治家・教育家・医者)が付けたものが大部分と言われる。
眼鏡橋の傍には磁器焼き物で設えた「石橋群案内図」があり、これを見ると各石橋は寺町の其々の寺院に直結しているのが判る。
因みに、この国宝・眼鏡橋を真直ぐ寺町方向へ進むと多くの寺が建ち並んでいる一角である「晧大寺」( こうだいじ)に突き当たる。 長崎でも名の知れた寺らしく、晧大寺のすぐ右が大音寺(だいおんじ)であり、それに、長崎駅近辺(筑後町)の「本蓮寺」(勝海舟が長崎海軍伝習所時代にここに住んでいた)の三寺院を合わせて長崎の三大寺院とも言われているようである。
そして晧大寺を特に有名にしているのは先の大浦天主堂の項でも記したが、イエズス会宣教師・クリストヴァン・フェレイラ教父が、時の政権に改宗するように「穴吊り」の拷問をうけ、棄教して仏門に入ったとされ。 仏教徒に無理矢理に転宗させられた後の彼の檀那寺(自分の家が帰依して檀家となっている寺)が「晧大寺」であったという。
長崎市内見物を終えて・・?、と言いたいところだが表面的な周遊観光したに過ぎない。
長崎という街は、実際はまだまだ歴史的見所が多く奥が深いのである。 何せ、原爆被爆という、とてつもない体験をしている事に加え、顕著なのが長崎は日本で唯一、開国の天領だったところでもある。江戸期のわが国は鎖国時代で、外部外国の情報やら物資は一切見聞きすることは無かった。ところがここ長崎は、アジアに代表される中国、ヨーロッパに代表されるオランダとの交流交易が堂々たる認可の下で行われていたのである。そして、それらに関する歴史的遺構、現存施設や建物が町中に集積、又は拡散しているのである。
これらに興味があって長崎市内を隈なく観光、観察するには、とても3、4日では巡りきれないのではないか・・?とも思われ、実感した次第である。
次回は「諫早」
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