2008-11-23

日本周遊紀行(54)尼崎 「惨劇、そして悲劇」

事故現場
尼崎事故
写真:事故現場、上は読売新聞社提供です



あの日を忘れない「尼崎の悲劇」・・、

大阪城のすぐ北を国道1号線が走っている。
この国道1号は、JR大阪駅(私鉄・梅田駅)の駅前の主要十字路でR2(国道2号線)に引き継いでいる。国道1号線は、東京都中央区日本橋から大阪市北区梅田新道までおよそ570km、途中横浜・静岡・名古屋・京都と主要な都市を結び、都市圏の産業道路であったり、名所の箱根や浜名湖畔沿いなど変化にとんでいる。 もちろん現在の東海道の主役は新幹線や東名・名神高速道路であるのはいうまでもないが、地域の生活や産業にしっかり密着している国道のスーパースターである。
そのR1からR2に乗り継いで・・?、兵庫の六甲山麓の有馬温泉へと向う。 その途中でもあり、邪心とは承知のうえで「尼崎」に寄ることにした。 邪心としたのは、その付近で最近(四月)大きな鉄道事故が発生していて、その現場を参見するつもりであるから。

大幹線道路、大型貨物車がゴーゴーと走る阪神工業地帯の真っ只中の尼崎駅前付近から、右方向の地方道へ入ってようやく開放された。 工業地らしく大小の会社工場が乱立していて、近くをJR福知山線が走る、この線が東海道本線と合流する地点駅が尼崎駅である。 そのすぐ北側を名神高速道が走り、福知山線と交差する辺りが悲しい事故現場のはずである。 車をグルグル走らせて、どうやら目的の地へ着いたようである。
報道記者が数人カメラを持ち、高さのある脚立を構えて立っているし、ガードマンも直立不動で事に当たっている。 車を「日本スピンドル・・」という会社工場の正門横に置いて、小生もカメラ片手に神妙に出かけた。すぐ福知山線の踏み切りに来た、開かずの踏み切りでなく開けっ放しの踏み切りで、人も車も常時往来自由である。無論、ここは事故現場で、この鉄道の列車は運休中なのである。 右方のレール上はバリケードがしてあり、すぐ横にTV映像でも何回も見せられた白の幕で囲われた仮祭壇らしきものがあった、こちらは裏側にあたるのだろう中の様子は覗い知れない。
鉄路にそって、あの高層のマンションが立つ、このマンションの地下駐車場に、事故列車の1両目の車両が殆ど突っ込み、死者凡そ30人を出した所でもある。2両目は、この建物の前方に激突し、くの字にへしゃげて大破、死者およそ70人、そして3、4両目は脱線した衝撃で180度前後が入れ替わり大破した、死者4〜5人出している・・!!。
この電車の乗客は約540人というから、死亡率18%、負傷率79%にもなる。

現場に居合わす鉄道関係者は基より報道、ガードマン、それらの人々はいずれの顔も強張って、堅そうで、緊張感のなかで脱力している。 見れば、行き交う人々も表情は重く、何か悲しげである、この地上に居る人達は皆、そのようだ・・! 時折、子供のカン高い声が響き、車の行き交う無味は騒音が耳に届くが・・。否、この場に在る空気や人々の雰囲気が重いばかりでなく、周辺地域に住む人達も本来の笑い声は暫くは聞けないだろう・・、家族の対話も、近所の茶飲み話しも・・。 
あれから1ヶ月少々、こらから蒸すような暑い夏がやって来て、更に、悲しみの熱風が辺りを支配し、威圧し、人々は更に無口になってゆくだろう・・!。 辺りを支配している死に到る悲しげなウメキの声が、途絶えるのは一体何時になるのか・・? 苦悶の霊が漂い浮揚している、怨念を負っている107の霊は、そう単純には仏となり得ず昇天は出来ないだろう・・!。 それらの霊を救済する天女が現れて、元の晴れ間に戻るのは何時になるのか・・?、やがてやって来る秋の涼風が吹く頃か・・?、天女が涼風に乗ってやって来て、これらの霊を慰め、静かに抱えて天界に同伴してくれれば良いが・・!。 その頃になって、やっと人々の本来の笑い声、歓声が聞こえて来るかも知れない・・!。それらが少しでも早からんことを本当に願い祈るのみである・・!。
小生も、邪心ながらも現場に立っていても悲惨で、遣り切れなくて、胸が詰まり、切なくなって、何か込み上げるものを禁じ得ないのである・・、今は、ただただご冥福を祈るばかりである。
この事故は、東京地区でいうなれば、品川駅近くで山手線か、京浜東北線が事故を起こした様なものだろうか・・、本年(2005年)4月25日の午前の事である・・、この事故を一般に「JR福知山線脱線事故」と称している。 

2005年4月25日午前9時18分頃に、JR西日本福知山線(JR宝塚線)塚口〜尼崎駅間で発生、107名の死者を出した列車脱線転覆事故である。
事故は、JR福知山線の兵庫県尼崎市久々知の右カーブ区間、塚口駅の南約1km、尼崎駅の手前約1.4km地点)で発生した。 事故列車は宝塚発、片町線(学研都市線)の同志社前行き上り快速電車である。列車の前5両が脱線して先頭2両は線路横の9階建てマンションに激突し原形をとどめない形で大破した。
余り知られてないが、同時刻には並行する下り線に新大阪発⇒城崎温泉行きの特急「北近畿3号」が接近中であった・・!!。だが幸いなことに、事故を目撃した近隣住民の機転により、近くの踏切の非常ボタンが押され運転士が異常を察知し、凡そ100m手前で緊急停車したという、そのために、二重事故が回避されているのである。
曲線区間の制限速度は70km/hであるが、航空・鉄道事故調査委員会が解析を行ったところ、前から5両目と7両目に時速108kmの記録が表示されていた。この時の列車の運行時間は定刻より1分30秒程遅れていたとか・・。
救助作業は、昼夜を問わず24時間続けられ、3日後の4月28日に終了した。
事故の犠牲者は、運転士を含む死者107名、負傷者は555名。 犠牲者の多くは1両目か2両目で、殆どが多発性外傷や窒息で亡くなっていて、所謂、クラッシュ症候群(挫滅症候群・ざめつしょうこうぐんともいい、身体の一部が長時間挟まれるなどして圧迫され、その解放後に起こる様々な症候をいう)という二次性の疾患も確認されている。事故の規模は、死亡者の数に限定するならば戦後の旧国鉄時代を含めると1962年の三河島事故(この時は二重事故・死者160人)に次ぐ大惨事となり、JR発足以降に限定すると1991年の信楽高原鐵道(正面衝突・42名が死亡し、614名が重軽傷)での衝突事故を抜き、史上最悪の鉄道事故となった。

107人もの犠牲者を出したJR福知山線脱線事故において此の程、人命救助に尽力した人に「紅綬褒章」が授与された。 その中の一人に浜崎節美さんがいる、事故の時、近くを通りかかり、とっさに踏み切りの非常ボタンを押して対向の特急電車が突っ込む二重事故を防いだのである。
又、事故直後、近くの機械メーカー「日本スピンドル製造」では、斉藤社長号令の下に即時操業を中止し、社員全員工場から毛布、医薬品、工具を持ち出し救助に当たった。 トラック等も全車出して怪我人を乗せ、現場と病院をピストン輸送した。 褒章を受けた両名は、「光栄に思う、と同時に戸惑いも感じる。それより何よりも、ご遺族と負傷者の皆さんを思うと心が痛む。」とコメントしている。
たまたま、この会社の正門横に車を止めていて、小生自ら撮った写真に社名が写っていた、確かに事故現場はすぐ前であった・・!!。
因みに尼崎は、先の(1995年1月17日) 阪神・淡路大震災で死者49人、負傷者7145人を出している。

次回は、同じく尼崎、「千の風になって・・、」




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