2008-11-11
日本周遊紀行(30)長島 「三川合流地の因縁」
壮絶な「治水工事」の歴史的事実・・、
弥富を過ぎると「木曽川」の長い橋梁を渡り、中州の・・?の長島地区から今度は長良川、揖斐川の大河を過ぎる。長良川、揖斐川は一体のようであるが、実際は中州の仕切りがしてあり、この中州は、この辺りから上流へ向って「千本松原」が緑豊かに延びている。
昨日通って来た駿河の原海岸に在る「千本松原」もそれなりの歴史があったが、こちらはそれのも増して過酷な重い歴史を背負っていた・・!!。
木曽川は、木曾山地を水源に飛騨川と合流し、犬山市付近から濃尾平野に出る。下流域では揖斐川、長良川と合流・分流を繰り返し、所謂、輪中(水災を防ぐため一個もしくは数個の村落を堤防で囲み、水防協同体を形成したもの。岐阜県南部の木曾・長良・揖斐の三川の下流平野に形成されたものは有名)と呼ばれる集落も発達した。 河川は、江戸期以降何度となく改修工事が繰り返され、現在では分離・分流されて伊勢湾に注いでいる。
この木曾三川と言われる大河川は、下流部においては網目状に流れていて洪水が絶えなかったため、江戸時代から明治時代にかけ歴史に残る大掛かりな治水工事が行われた。
「宝暦治水」と「明治の改修・三川分流」の改修工事であるが、特に「宝暦治水」というのは、歴史にその名を残した壮絶な工事であった。
木曾三川の治水工事は、豊臣の時代に木曽川の尾張藩側に先ず堤防が造られ、慶長年間には尾張・徳川家によって50kmにも及ぶ堤防が築かれた。この堤防は、尾張藩を囲む形であったので「お囲い堤」と呼ばれ、洪水対策とあわせて西国大名の侵入に備える軍略上の意味あいが強かったともいう。 そのため、美濃地方の諸藩の堤防補強は尾張藩の過酷な使役条件に縛られるし、地理的な要素も加わり輪中地帯は洪水のたびに水害に苦しめらた。
1753年(宝暦3年)12月の大洪水の後、徳川幕府、並びに同御三家の尾張藩は水害に苦しむ人々の声を聞き、幕閣の間で合議の結果、三川分流計画を基本にした一大治水工事の実施することを決定した。そして、この木曾三川下流治水工事を、九州・薩摩藩一藩で行いよう命じたのである。
この工事は西国大名の筆頭である薩摩藩の勢力を弱めるという他の目的もあったようで・・、それは薩摩藩は関が原合戦において西軍に付き、徳川藩祖の家康を不安に落しいれ、尚且つ70万石の領土を安堵してしまったことでもあった。 尚且つ、幕府の放つ「薩摩飛脚」の情報では、薩摩は琉球との密貿易で資金を溜め込んでいると思われたためともされる。
薩摩藩では賛否両論の飛び交う大評定の結果、1754年(宝暦4年)2月、平田靱負(ひらたゆきえ)を総奉行として、この難工事に着手することになった。薩摩側から出した人数は家老以下947名、これに土地の人夫等を加えると2000人にも及び、この費用は約40万両の巨費に達する大工事であった。幕府の資金は1万両のみで、当初見積もりは10万両とされたが、工事は幕府の方針変更によって計画がたびたび変更され、また大雨により工事のやり直し等が発生したりで、工事は困難を極め、併せて費用も嵩み20、30、そして40万両という多額の出費を余儀なくされたのであった。
この間、同地の尾張藩に至近で常時見張られ、幕府からの嫌がらせもあり、又、薩摩は幕府方に専門職人を雇うよう依頼したが一切受け付けられず、資金も全額薩摩負担となり藩は困窮を極めたという。 平田靱負は御用商人らに多額の借受を藩ではなく、平田個人名義で行い返却できるはずの無い借金を重ねた・・、平田は自らの死を担保にしたのでる。
工事の最中、特に油島新田締切堤(千本松原の北部地区)と大榑川(おおぐれがわ)の堰工事は予想を越えた難工事となり病死者も33名を数えたという。 工事期間中に幕吏からの度重なる嫌がらせや妨害工作にもあって、幕府に対する抗議の自害者、自殺者は53名にのぼったという。
そして2年越しの1755年3月(宝暦5年)遂に完成を看るに至った。この治水工事は、幕府の役人も「日本の内は申すに及ばず、唐にも是ほどのことは有るまじく・・、」と賞賛し、諸国からの見学者が後をたたなかったといわれる。 工事完了後、総奉行の平田靱負は、53人の自刃者と33人の病死者を出し、多額の借金を残した責任を一心に負って、同年5月25日早朝・・、
『 住みなれし 里も今更 名残にて
立ちぞわずろう 美濃の大牧 』
の時世の歌を残し自刃している。
平田靱負という人物も水と戦った一人であるが、この人は治水に関する技術・能力を買われて招かれたのではなく、どちらかといえば命令されて仕方なく赴いたという背景がある。
現在の「千本松原」(岐阜県海津町油島)は、油島堤ができあがった後に、その堤の上には地元薩摩のシラス台地に育った「日向松」を持ち運んで植えたものと伝えられている。
昭和13年、長くその精神と偉業を尊び称えるため地元の人々によって、平田靱負と薩摩義士84名を祭る治水神社(岐阜県海津町油島)が建立された。治水史上、最大の難工事といわれたこの工事を称して「宝暦治水」と呼んでいる。
岐阜県海津町、平田町は、その木曽川、揖斐川に挟まれたやや上流部にある。 輪中の町として小学生の社会科の教科書に出てくる有名どころであり、昔から、木曽川・揖斐川・長良川が流れ、風光明媚な土地柄であるが、昔から水と戦い、水害に悩まされ続け、そして、壮絶な人間模様が展開された地域でもある。
ところで平成17年に合併して成立した海津市は海津町と南濃町、そして平田町が合併してできた市である。 平田町は昭和30年に今尾町(大字平原を除く)と海西村が合併して成立した新しい町だが、その平田の名は当然ながら平田靱負正輔に由来している。 地名をとって名字にする例はよく聞くが、功績のあった人物の名をとって地名とする例もないわけではないが珍しいという。ここからも長きにわたってこの人物が地元の人々から慕われていた事を窺い知ることができるだろう。
しかし、平成の大合併で又しても歴史に名を残した由緒ある地名が消えてしまったのは残念である、せめて、平田海津市くらいにはして欲しかったが・・??。
木曽川、揖斐川を渡ると桑名である、平成16年12月、海岸温泉の長島町と歴史の町・多度町が桑名市と合併し、新桑名市に成っている。
この辺りから右手に鈴鹿の山並が遠く望める、あの頂きは御在所岳であろうか・・?、麓に湯ノ山温泉があるはだが。 左は四日市の石油コンビナートが目に入る、中京工業地帯有数の工業地域で、名古屋港にならぶ貿易港でもある。
1960年代にかけて発生した大気汚染による公害・「四日市喘息」は世間の注目をあびた。硫黄酸化物による集団喘息障害であり、日本の四大公害病(水俣病=熊本・有明湾の有機水銀による生体異変、第二水俣病=新潟・阿賀野川の有機水銀中毒、イタイイタイ病=富山・神通川下流域でのカドミウム汚染・骨の異変、)の一つとされて、現在における大気汚染防止法等、日本の環境政策の拡充に大きな影響を与えたといえる。
四日市の南に日永という地区がある、ここは京に向かう東海道と伊勢に向かう伊勢街道の分岐点にあたり「日永の追分」といわれる処である。 追分とは道が二またに分かれるところで、伊勢神宮への桑名の一の鳥居に対して、この地に、二の鳥居が建てられている。 市名は四のつく日に市がたったことに由来すると言われる。 御在所山麓の湯ノ山温泉は四日市の奥座敷といったところか・・。
次回からは近畿道になります、先ず「関の鈴鹿峠」・・、
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【閑話休題】
「旅館、公共の宿・J-Yado」
小生などとっくに過ぎてしまったが・・、今、団塊の時代と言われて久しい。
60歳の定年期を迎えて第2の人生を歩もうとする時、これほど最大のキッカケはないのである。 例えば旅のことである。
「旅はカンフル剤」」といったのは著名な作家・五木寛之であるが、旅というのは日常空間から、日常住み慣れた地域から先ず飛び出す事から始まる。或いはヒョットすると、旅の中で第二の人生を発見出来るかもしれないのである。
「たび(旅)」の語源は不定であるが、その意味上の共通性やアクセントの面から、「とぶ(飛)」との関係や、度数を表わす「たび(度)」が「たび(旅)」が転じたものともいう。 英語でいう「トラベル」とは旅行のことで、普通にはツアー会社の旅行を想像するが、トラベルという英語の語源は「トラベイユ」(労苦、苦労の意味)、フランス語の語源「トラベラー」(拷問の意味)に近い状態であるという。 ラテン語の語源では、なんと「拷問、拷問のための責め具、拷問台」という意味もあるという。 それを受けて「つらいこと」や「苦しみ」という意に派生し、現在では「旅」という意味を持つに至っているという。 尤もで、一昔は「旅」というのは自分の脚で歩いて移動したものであって、そこには多大な苦労や苦痛があった筈である。然るに、語源の「トラベイユ」というのは納得なのである。
又、「可愛い子には旅をさせよ」という諺を例にとってみても、旅というものに対する前途多難さや、若者もしくは学を志す者たちのとって「旅」とは何らかの苦行から切り離せない意味合いが含まれているということも感じ取れる。 旅が、我々に楽しみや喜びだけを付与する存在であるとは言い切ることはできないのである。
さて、元々、若い頃より旅が好きで、今まで日本中をランダムに駆けずり回っていたが、熟年になった今日、念願かなって2006年に「日本一周の旅」を終え、現在、盛んに「日本周遊紀行」と題して回想しながらの執筆し、そしてブログに投稿中であります。
ところで、小生であるorimasa2005は、自称・旅行者と称してますが、あくまでも趣味の範囲ですが・・!。
過去に、北海道ツアーや九州へ伺った時、札幌・ススキノや熊本城下のドーミーインの癒しの湯宿・ホテル に厄介になったけど、ナカナカ良かったですよ・・!。ここのホテルの特徴は、ビジネスホテルでありながら観光ホテル並みに、大浴場や天然温泉が在ることですね。 特に、地方から東京へ出られる人は、ど真中の 「ドーミーイン東京八丁堀」 はお勧めですね、天然温泉の亀島川温泉というのが付いているよ・・!!
それでも年に数回は、高級旅館でユッタリ、ノンビリの和風の宿も いいですよね、夫婦で憧れの旅館で 何てね・・。 それでも、毎度まいど各地を訪ねる時は、やはり庶民感覚の大衆旅館や公共の宿 が普通でしょう。 それにしても今、「かんぽの宿」の売却で問題になってますね・・、合理化云々で公共の宿がどんどん減らされてゆく現状・・!、我々にとっては残念でなりませんよね・・!!。
それでも、普通の好みの旅行に出かけるには格安のツアー旅行 が一般的で多いですかね、こんな時は便利に利用しているのが近畿日本ツーリスト ですね・・、小生は、北海道、沖縄そしてスキーツアーや目的別のツアー等に多く利用してますよ・・!。 勿論、海外へチョット遠くへ出かけるには飛行機で一っ飛びは常道で、早目に予約すると相当割引になるのが嬉しいね、格安航空券のイーツアー は、つい最近ハワイへ行くのに利用しましたよ、勿論、通常のパックツアーやホテル込みの海外ツアーには時折利用してますkwどね・・。
それでも年がら年中、旅ってばかりではなく、家にいる時はノンビリ昔懐かしのTVで、フランスのワインボルドーなどを傾けながら、大迫力の広い画面で・・!ひかりTVでNHK番組 や NHKオンデマンド 、で楽しんでます。 特に、世界遺産や旅、温泉番組はいいよね・・!。
尤も、旅行以外は出不精の小生、若い頃より読書は趣味の一つで、特に好きなものは時代小説はいいですね・・!、今も、パソコンの合間に読んでます。ただ、付近に本屋が無いので、たまにはこちらビーケーワン に注文してます。 そして、昼時など、時には宅配の「吉野家の味」 を家で味わってますよ、拙宅のお年寄りも「美味いもんだね」と喜こんでいます。
それでは引続き、「日本周遊紀行」お楽しみに・・。
尚、この度、【日本周遊紀行「東日本編」】と題して、「自主本」を出版の運びと成りました。
更に、日本周遊紀行「特別編」(世界遺産関係)を近々出版する予定です。 詳細は後ほど・・・。
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