2008-11-10
日本周遊紀行(27)野間 「縁と因縁の地」
野間は、縁と因縁の今昔の地・・、
内海を過ぎて間もなくすると道路のすぐ横の海岸に、いきなり灯台が現われた、「野間灯台」と記されていた。ほぼ渚の磯の上に立つ白亜の灯台は、伊勢湾を航行する船舶のよき道しるべとなっていて知多半島のシンボル的存在であろう。
しかし何故か、この灯台の周囲は鉄のフェンスで囲ってある。このフェンスを良く見るといろんな形の錠前(主に南京錠)が多数引っ掛けてある、しかもその錠に男女のカップルの名前が記され、何事かメッセージが書いてある。 何のことはない、ここは恋が成就する願掛けの灯台だったのである。 以前、ある週刊誌に興味本位に描かれたのをきっかけに今年になってどんどん増え、しかも町が広報誌で宣伝したから、なおさらブームにもなっているとか・・。
野間灯台の明りに照らされ、錠(情・・?)でしっかり結ばれて離さない、何とも男女間の機微、情の景は理解できるが・・?。
この先の奥田の山中に「恋の水神社」というのがある、多くのカップルや若者がお参りに来るという祈願社で、あらゆる病気、特に「恋の病」に効くといわれ、そこには「恋の水」が湧いているともいう。美浜町は名称からしても、何ともロマンチックな街のようである。
こちらは往時の因縁の地でもある・・、
源義経、頼朝公の実父「源義朝」はこの野間の地で命を落としている。
義朝は京都六波羅の合戦である「平治の乱」で平清盛に破れ、この野間の地に落ちのびてきた。ここで家臣の長田忠致、景致親子による裏切りで入浴中に謀殺されている。丸腰だった義朝は「我に小太刀の一本でもあれば討たれはせん」と言い残して果てたという。
国道の奥まったところに奈良期・七世紀に創建された古刹「大御堂寺」があり、源義朝公御廟がここに祀ってある。 嫡男・頼朝公は鎌倉幕府、開府直前にこの地に参り、父義朝公の法要を執り行い、境内の様々な伽藍建立されたという。 その後、秀吉、家康の庇護を受け更に繁栄し、中でも、大御堂寺の住職は家康の母方(於大の方)の実家である水野家を、代々の住職にするように家康が決めたといわれ、そのことは400年経った今日でも引き継がれていると言う。 野間大坊・大御堂寺 (おおみどうじ)は現在でも、尾張地方随一の祈祷寺として人々に広く信仰を集めているという。
家臣の謀反により殺された義朝公の墓には、その霊を弔うため今も有志者によって木太刀が多数供えられている。 あの時、「小太刀の一本でもあれば・・」と無念の想いを託して奉納するのであろうが、木太刀は廟のすぐ近くで、サイズをいろいろ取り揃えて販売されているようである。 寺社関係者の商魂逞しき・・、と言いたいところだが。
野間灯台の錠前、義朝廟の木太刀といい、これらを持ち寄って信仰の意志を伝える日本人的精神作用には、何かの共通点が見える気もするが・・?。
この大御堂寺には、もう一つの因縁事件があった・・。
戦国期の本能寺の変(1582年、織田信長の重臣・明智光秀が謀反を起こし、京都の本能寺において主人信長を討った事件。天下統一を目前にした織田信長は命を落とし、日本の歴史を変える出来事となる)の後、織田信孝(信長の三男)は光秀を滅ぼしたという功績にも関わらず、清洲会議で織田家の後継者は羽柴秀吉によって三法師君(幼少・信長直系の孫・秀信)に決められてしまう。この処遇に不満をもった信孝は家老の柴田勝家らと結び、秀吉に対して挙兵するが、賤ヶ岳の戦いで勝家が敗れて信孝は尾張国知多郡野間(愛知県美浜町)の大御堂寺に送られ蟄居させられる。後に秀吉に切腹を強要され、この地で自ら自害して果てた・・、享年26。
辞世の句に
『 昔より 主をば討つ身(内海)の の間(野間)なれば
報いを待てや 羽柴筑前 』
自分の身を、家臣に裏切られ殺害された源義朝になぞらえ、羽柴筑前(秀吉)に対する憎悪を剥き出しにした壮絶な歌である。
美しき知多の浜において、昔、壮絶な人間模様があったようだが、今は男女の色模様で賑わいを見せている。 そんな事を知ってか知らずか、今も伊勢の海はキラキラと輝いている。
次に常滑の焼物とセントレア・・?
内海を過ぎて間もなくすると道路のすぐ横の海岸に、いきなり灯台が現われた、「野間灯台」と記されていた。ほぼ渚の磯の上に立つ白亜の灯台は、伊勢湾を航行する船舶のよき道しるべとなっていて知多半島のシンボル的存在であろう。
しかし何故か、この灯台の周囲は鉄のフェンスで囲ってある。このフェンスを良く見るといろんな形の錠前(主に南京錠)が多数引っ掛けてある、しかもその錠に男女のカップルの名前が記され、何事かメッセージが書いてある。 何のことはない、ここは恋が成就する願掛けの灯台だったのである。 以前、ある週刊誌に興味本位に描かれたのをきっかけに今年になってどんどん増え、しかも町が広報誌で宣伝したから、なおさらブームにもなっているとか・・。
野間灯台の明りに照らされ、錠(情・・?)でしっかり結ばれて離さない、何とも男女間の機微、情の景は理解できるが・・?。
この先の奥田の山中に「恋の水神社」というのがある、多くのカップルや若者がお参りに来るという祈願社で、あらゆる病気、特に「恋の病」に効くといわれ、そこには「恋の水」が湧いているともいう。美浜町は名称からしても、何ともロマンチックな街のようである。
こちらは往時の因縁の地でもある・・、
源義経、頼朝公の実父「源義朝」はこの野間の地で命を落としている。
義朝は京都六波羅の合戦である「平治の乱」で平清盛に破れ、この野間の地に落ちのびてきた。ここで家臣の長田忠致、景致親子による裏切りで入浴中に謀殺されている。丸腰だった義朝は「我に小太刀の一本でもあれば討たれはせん」と言い残して果てたという。
国道の奥まったところに奈良期・七世紀に創建された古刹「大御堂寺」があり、源義朝公御廟がここに祀ってある。 嫡男・頼朝公は鎌倉幕府、開府直前にこの地に参り、父義朝公の法要を執り行い、境内の様々な伽藍建立されたという。 その後、秀吉、家康の庇護を受け更に繁栄し、中でも、大御堂寺の住職は家康の母方(於大の方)の実家である水野家を、代々の住職にするように家康が決めたといわれ、そのことは400年経った今日でも引き継がれていると言う。 野間大坊・大御堂寺 (おおみどうじ)は現在でも、尾張地方随一の祈祷寺として人々に広く信仰を集めているという。
家臣の謀反により殺された義朝公の墓には、その霊を弔うため今も有志者によって木太刀が多数供えられている。 あの時、「小太刀の一本でもあれば・・」と無念の想いを託して奉納するのであろうが、木太刀は廟のすぐ近くで、サイズをいろいろ取り揃えて販売されているようである。 寺社関係者の商魂逞しき・・、と言いたいところだが。
野間灯台の錠前、義朝廟の木太刀といい、これらを持ち寄って信仰の意志を伝える日本人的精神作用には、何かの共通点が見える気もするが・・?。
この大御堂寺には、もう一つの因縁事件があった・・。
戦国期の本能寺の変(1582年、織田信長の重臣・明智光秀が謀反を起こし、京都の本能寺において主人信長を討った事件。天下統一を目前にした織田信長は命を落とし、日本の歴史を変える出来事となる)の後、織田信孝(信長の三男)は光秀を滅ぼしたという功績にも関わらず、清洲会議で織田家の後継者は羽柴秀吉によって三法師君(幼少・信長直系の孫・秀信)に決められてしまう。この処遇に不満をもった信孝は家老の柴田勝家らと結び、秀吉に対して挙兵するが、賤ヶ岳の戦いで勝家が敗れて信孝は尾張国知多郡野間(愛知県美浜町)の大御堂寺に送られ蟄居させられる。後に秀吉に切腹を強要され、この地で自ら自害して果てた・・、享年26。
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『 昔より 主をば討つ身(内海)の の間(野間)なれば
報いを待てや 羽柴筑前 』
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【閑話休題】
「旅館、公共の宿・J-Yado」
小生などとっくに過ぎてしまったが・・、今、団塊の時代と言われて久しい。
60歳の定年期を迎えて第2の人生を歩もうとする時、これほど最大のキッカケはないのである。 例えば旅のことである。
「旅はカンフル剤」」といったのは著名な作家・五木寛之であるが、旅というのは日常空間から、日常住み慣れた地域から先ず飛び出す事から始まる。或いはヒョットすると、旅の中で第二の人生を発見出来るかもしれないのである。
「たび(旅)」の語源は不定であるが、その意味上の共通性やアクセントの面から、「とぶ(飛)」との関係や、度数を表わす「たび(度)」が「たび(旅)」が転じたものともいう。 英語でいう「トラベル」とは旅行のことで、普通にはツアー会社の旅行を想像するが、トラベルという英語の語源は「トラベイユ」(労苦、苦労の意味)、フランス語の語源「トラベラー」(拷問の意味)に近い状態であるという。 ラテン語の語源では、なんと「拷問、拷問のための責め具、拷問台」という意味もあるという。 それを受けて「つらいこと」や「苦しみ」という意に派生し、現在では「旅」という意味を持つに至っているという。 尤もで、一昔は「旅」というのは自分の脚で歩いて移動したものであって、そこには多大な苦労や苦痛があった筈である。然るに、語源の「トラベイユ」というのは納得なのである。
又、「可愛い子には旅をさせよ」という諺を例にとってみても、旅というものに対する前途多難さや、若者もしくは学を志す者たちのとって「旅」とは何らかの苦行から切り離せない意味合いが含まれているということも感じ取れる。 旅が、我々に楽しみや喜びだけを付与する存在であるとは言い切ることはできないのである。
さて、元々、若い頃より旅が好きで、今まで日本中をランダムに駆けずり回っていたが、熟年になった今日、念願かなって2006年に「日本一周の旅」を終え、現在、盛んに「日本周遊紀行」と題して回想しながらの執筆し、そしてブログに投稿中であります。
ところで、小生であるorimasa2005は、自称・旅行者と称してますが、あくまでも趣味の範囲ですが・・!。
過去に、北海道ツアーや九州へ伺った時、札幌・ススキノや熊本城下のドーミーインの癒しの湯宿・ホテル に厄介になったけど、ナカナカ良かったですよ・・!。ここのホテルの特徴は、ビジネスホテルでありながら観光ホテル並みに、大浴場や天然温泉が在ることですね。 特に、地方から東京へ出られる人は、ど真中の 「ドーミーイン東京八丁堀」 はお勧めですね、天然温泉の亀島川温泉というのが付いているよ・・!!
それでも年に数回は、高級旅館でユッタリ、ノンビリの和風の宿も いいですよね、夫婦で憧れの旅館で 何てね・・。 それでも、毎度まいど各地を訪ねる時は、やはり庶民感覚の大衆旅館や公共の宿 が普通でしょう。 それにしても今、「かんぽの宿」の売却で問題になってますね・・、合理化云々で公共の宿がどんどん減らされてゆく現状・・!、我々にとっては残念でなりませんよね・・!!。
それでも、普通の好みの旅行に出かけるには格安のツアー旅行 が一般的で多いですかね、こんな時は便利に利用しているのが近畿日本ツーリスト ですね・・、小生は、北海道、沖縄そしてスキーツアーや目的別のツアー等に多く利用してますよ・・!。 勿論、海外へチョット遠くへ出かけるには飛行機で一っ飛びは常道で、早目に予約すると相当割引になるのが嬉しいね、格安航空券のイーツアー は、つい最近ハワイへ行くのに利用しましたよ、勿論、通常のパックツアーやホテル込みの海外ツアーには時折利用してますkwどね・・。
それでも年がら年中、旅ってばかりではなく、家にいる時はノンビリ昔懐かしのTVで、フランスのワインボルドーなどを傾けながら、大迫力の広い画面で・・!ひかりTVでNHK番組 や NHKオンデマンド 、で楽しんでます。 特に、世界遺産や旅、温泉番組はいいよね・・!。
尤も、旅行以外は出不精の小生、若い頃より読書は趣味の一つで、特に好きなものは時代小説はいいですね・・!、今も、パソコンの合間に読んでます。ただ、付近に本屋が無いので、たまにはこちらビーケーワン に注文してます。 そして、昼時など、時には宅配の「吉野家の味」 を家で味わってますよ、拙宅のお年寄りも「美味いもんだね」と喜こんでいます。
それでは引続き、「日本周遊紀行」お楽しみに・・。
尚、この度、【日本周遊紀行「東日本編」】と題して、「自主本」を出版の運びと成りました。
更に、日本周遊紀行「特別編」(世界遺産関係)を近々出版する予定です。 詳細は後ほど・・・。
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