2008-11-07
紀行(20)掛川・袋井 「山内氏と名刹」
城下町・掛川・・、
大東町、大須賀町は平成17年4月1日、掛川市と合併し新「掛川市」となっている。
従来の掛川の街(掛川市)は内陸部にあって、沿岸部を通る小生にとっては縁の薄い地域であった。しかもこの沿岸道のRI50からは間に2〜300mの山塊が横たわっていて掛川の市街は全く見通せることもできない。しかし大東町、大須賀町と合併し新掛川市に成ったことで、その縁が生じてしまった。従って、歴史の街「掛川」のことを、些かなりとも触れねばなるまい。
市内中心部の掛川の街はJR掛川駅を中心に東名高速、東海道(国道1号線)、そのバイパスと交通網が接近集中している。その駅前のほぼ中心地に新装成った「掛川城」が小高い丘に構えている。この城は日本初の本格木造建築であり、「東海の名城」とうたわれた往時の美しさを忠実に復元したもので天守閣をはじめ、その他の造営物は市民の寄付により再興されたという。合わせて、駅から掛川城までの周辺地では、都市としての殺風景な姿を一変させ、城下町風の美的景観が整備されたという。 又、市内の中心部を東西に大田川の支流である「逆川」が流れる。この川が、切り立った崖のように見える点から「缺けた川」と呼ばれ、次第に略されて「懸川」となり、「掛川にと改名されたといわれる、掛川市の由来でもある。
古来より掛川(掛川城)は東海道の東西交通の要衝としてその意味は大きかった。
掛川城は通称、懸川城、懸河城ともいった平山城(平地にある丘陵を利用して造った城)である。古くは室町時代中期に守護大名であった今川義忠が、重臣の朝比奈泰煕に命じて築城したと伝えられ、そのまま朝比奈氏が城代を努めていた。戦国期、朝比奈氏の主家の今川氏が甲斐の武田信玄・三河の徳川家康の両大名から挟み撃ちに遭って和議で開城することになり、掛川城には城代として家康の重臣・石川家成・康通親子が入った
掛川城の南方にある「高天神城」は、その後の武田・徳川両氏の激しい攻防戦の舞台となった城であり、掛川城と合わせて1582年(天正10年)の武田氏の滅亡まで徳川氏の領有であり続けた。
「関が原」の後の1590年代に、豊臣秀吉の家臣であった「山内一豊」が城主となり、掛川城の大規模な城郭修築を行い、天守閣、大手門の建設と共に城下町の整備により、東海随一の名城とも呼ばれていた。
山内一豊は戦国期の武将で織田信長に仕え、その後豊臣秀吉の家臣として小田原の役後、遠州掛川に六万石の藩主として治まる。 関ヶ原合戦では東軍・徳川家康につく、この時、一豊は「味方につく以上は、居城・掛川城を兵糧ごと差し上げる所存」といって、家康や周囲の臣を驚かせた。その義を以って、戦勝高禄で土佐24万石に封じられた。
有名な「妻の内助の功」の話は、彼がまだ織田家の小侍であった頃、信長が「各々(おのおの)馬を参じよ」と指示を出す。この時、馬を買う金がなく困っている彼を見て、妻が黄金10枚を渡し、無事駿馬を買うことができた。この「美談」で一豊は織田の家中で一種の名士となったという。
山内一豊とその妻、千代を描いた小説に司馬遼太郎『功名が辻』がある。
2006年(平成18年)にはNHKの大河ドラマ「功名が辻−山内一豊の妻−」が、ほぼ原作通り放映された。戦国期の侍、信長、秀吉、家康をはじめ関係武将が続々登場し、取り巻く女性陣も艶やかに、特に一豊の妻・千代の「良妻賢母」ぶりを主題にして、物語は展開した。キャストに千代:「仲間由紀恵」、山内一豊:「上川隆也」、織田信長:「舘ひろし」など。
歴史時代物が好きな小生にとって実に楽しみで、尚且つ、戦国物はたまらない。
因みに、高知市の「はりまや橋」の近くに「掛川町」が存在した。これは、掛川から高知に移住した山内一豊の家臣が、居を構えた事に由来する。だが、現在では掛川町は「はりまや町」となっているらしい。高知市には山内一豊が建立した「掛川神社」も存在する。この神社は、一豊が高知に入城した際、掛川城の北東(鬼門)にある龍尾神社(素盞鳴尊・スサノオを主祭神としており、掛川城の北東(鬼門)に位置するため、その守護神として、山内一豊を初めとする歴代城主から崇敬を受けた)を高知城の北東に勧請したものであり、掛川に因んで命名されたという。
袋井の名刹・・!、
浅羽町は本年4月1日より袋井市に吸収合併され、新「袋井市」が誕生している。
袋井市は何といっても遠州三山が有名であろう・・?、過ぐる年、上さん(妻)と訪れたことが有るが、この遠州路・袋井、森町から三ケ日の内陸沿いには名刹・古寺が多いのである。
其の内の代表的古刹を紹介しておこう・・、
先ず、JR鉄道の南に位置する、法多山尊永寺(ほったさんそんえいじ)は奈良朝初期の創建で真言宗の名刹である。 今川、豊臣、徳川などの武将の信仰も厚く、本尊は正観世音菩薩で浅草観音と同じく、ご利益は厄除け開運。正月の初詣には東海一円の人々が訪れ、名物の厄除けだんごと桜の名所が売りだとか。
次に、萬松山可睡斎(ばんしょうざんかすいさい)は、室町初期に開山された曹洞宗の寺院で、徳川家康が命名した寺院として有名。古来火の神といわれる秋葉山本宮秋葉神社から三尺坊大権現が遷座され火防災除の寺であり、春先のユリや初夏の牡丹が美しい寺、又、元タレントの「ポール・牧」氏が修行した修行寺としても有名である。
又、医王山油山寺(いおうさんゆさんじ)は奈良朝初期、行基により開山、真言宗の古刹で、本尊は薬師如来で行基自身の作と伝えられる。古くは石油が出たところから「油山寺」の名が付いたといわれる。ユニークなのは、この寺は目の守護、眼病平癒のお寺として信仰を集めている。自然と一体となっている寺院で国の指定文化財である三重塔や山門は見所であろう。
次回は、遠州浜松・・、
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大東町、大須賀町は平成17年4月1日、掛川市と合併し新「掛川市」となっている。
従来の掛川の街(掛川市)は内陸部にあって、沿岸部を通る小生にとっては縁の薄い地域であった。しかもこの沿岸道のRI50からは間に2〜300mの山塊が横たわっていて掛川の市街は全く見通せることもできない。しかし大東町、大須賀町と合併し新掛川市に成ったことで、その縁が生じてしまった。従って、歴史の街「掛川」のことを、些かなりとも触れねばなるまい。
市内中心部の掛川の街はJR掛川駅を中心に東名高速、東海道(国道1号線)、そのバイパスと交通網が接近集中している。その駅前のほぼ中心地に新装成った「掛川城」が小高い丘に構えている。この城は日本初の本格木造建築であり、「東海の名城」とうたわれた往時の美しさを忠実に復元したもので天守閣をはじめ、その他の造営物は市民の寄付により再興されたという。合わせて、駅から掛川城までの周辺地では、都市としての殺風景な姿を一変させ、城下町風の美的景観が整備されたという。 又、市内の中心部を東西に大田川の支流である「逆川」が流れる。この川が、切り立った崖のように見える点から「缺けた川」と呼ばれ、次第に略されて「懸川」となり、「掛川にと改名されたといわれる、掛川市の由来でもある。
古来より掛川(掛川城)は東海道の東西交通の要衝としてその意味は大きかった。
掛川城は通称、懸川城、懸河城ともいった平山城(平地にある丘陵を利用して造った城)である。古くは室町時代中期に守護大名であった今川義忠が、重臣の朝比奈泰煕に命じて築城したと伝えられ、そのまま朝比奈氏が城代を努めていた。戦国期、朝比奈氏の主家の今川氏が甲斐の武田信玄・三河の徳川家康の両大名から挟み撃ちに遭って和議で開城することになり、掛川城には城代として家康の重臣・石川家成・康通親子が入った
掛川城の南方にある「高天神城」は、その後の武田・徳川両氏の激しい攻防戦の舞台となった城であり、掛川城と合わせて1582年(天正10年)の武田氏の滅亡まで徳川氏の領有であり続けた。
「関が原」の後の1590年代に、豊臣秀吉の家臣であった「山内一豊」が城主となり、掛川城の大規模な城郭修築を行い、天守閣、大手門の建設と共に城下町の整備により、東海随一の名城とも呼ばれていた。
山内一豊は戦国期の武将で織田信長に仕え、その後豊臣秀吉の家臣として小田原の役後、遠州掛川に六万石の藩主として治まる。 関ヶ原合戦では東軍・徳川家康につく、この時、一豊は「味方につく以上は、居城・掛川城を兵糧ごと差し上げる所存」といって、家康や周囲の臣を驚かせた。その義を以って、戦勝高禄で土佐24万石に封じられた。
有名な「妻の内助の功」の話は、彼がまだ織田家の小侍であった頃、信長が「各々(おのおの)馬を参じよ」と指示を出す。この時、馬を買う金がなく困っている彼を見て、妻が黄金10枚を渡し、無事駿馬を買うことができた。この「美談」で一豊は織田の家中で一種の名士となったという。
山内一豊とその妻、千代を描いた小説に司馬遼太郎『功名が辻』がある。
2006年(平成18年)にはNHKの大河ドラマ「功名が辻−山内一豊の妻−」が、ほぼ原作通り放映された。戦国期の侍、信長、秀吉、家康をはじめ関係武将が続々登場し、取り巻く女性陣も艶やかに、特に一豊の妻・千代の「良妻賢母」ぶりを主題にして、物語は展開した。キャストに千代:「仲間由紀恵」、山内一豊:「上川隆也」、織田信長:「舘ひろし」など。
歴史時代物が好きな小生にとって実に楽しみで、尚且つ、戦国物はたまらない。
因みに、高知市の「はりまや橋」の近くに「掛川町」が存在した。これは、掛川から高知に移住した山内一豊の家臣が、居を構えた事に由来する。だが、現在では掛川町は「はりまや町」となっているらしい。高知市には山内一豊が建立した「掛川神社」も存在する。この神社は、一豊が高知に入城した際、掛川城の北東(鬼門)にある龍尾神社(素盞鳴尊・スサノオを主祭神としており、掛川城の北東(鬼門)に位置するため、その守護神として、山内一豊を初めとする歴代城主から崇敬を受けた)を高知城の北東に勧請したものであり、掛川に因んで命名されたという。
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